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2024年11月8日
2024 琵琶湖と朝倉・浅井氏の城跡・古戦場めぐりの旅
今年は、暖かい日が続き紅葉も遅いですね 標高の高い私の地元では 綺麗な紅葉が見られず雪が降りそうですが 雪が降る前に旅行したいと思います
目的地は、滋賀県 白髭神社 距離は264q 約5時間44分 山あり谷ありの一般道のコースです
2024年11月8日6時に出発しました 標高の高い場所の気温はマイナス3度でした 雪が降りそうな寒さです |
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福井県 一乗谷朝倉氏遺跡博物館まで 151q 3時間23分の道のりです
以前は、飛騨から福井までの道は険しい峠道でしたが 開発が進んで あと数年で、高速道路で結ばれると思います 最近は、高速道路の無料区間もあり 福井までの道のりは年々楽になっています |
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九頭竜湖は、私の若い頃は ドライブコースとして人気がありました 未だ九頭竜湖の美しさは変わりませんが ドライブインは、廃墟になっています
私の好きな、九頭竜ダムに到着
この辺りのトイレ事情は 道の駅以外の公衆トイレは1以下です
道の駅の快適度は3か4です (5が一番快適) |
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11月初旬 美しい紅葉は見られませんでしたが 幻想的な景色は、心が落ち着きます |
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九頭竜ダムを後にして |
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戦国大名では 恐らく人気が無いと思いますが 博物館の評価は高いです
博物館で歴史を学んでから 一乗谷朝倉氏遺跡を見学します |
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一乗谷朝倉氏遺跡までの距離は2.4qです 車だと4分
一乗谷朝倉氏遺跡の目玉は、城下町ですね 駐車場は黄色枠と赤色枠です 私は、黄色の枠に駐めましたが 駐車スペースは小さいです 赤色枠は、食事することもできるので どちらかと言えば 赤色枠をオススメします |
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城下町と言っても、雰囲気だけで 映画やテレビのセットの様な感じですが 福井県の事だから 恐らく年月を費やして巨大化しそうな気がします |
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朝倉館跡です 思ったのは、甲斐の武田氏 躑躅ヶ崎の館跡と同じ構造なんですね |
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堀には、大きな鯉が出迎えてくれます 縁起が良さそうなので 100円で購入した、餌を撒きました |
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私の浅い歴史観からすると 一世代の城ですね 二世代は、険しい山城 三世代は、丘に城 四世代は、平地に城です
(個人的な考えです)
朝倉義景は、野心家では無かったので 織田信長に滅ぼされましたが
義景の幼少期が、信長・信玄・政宗のように 愛情に飢えて育っていたら 歴史は変わっていたかもしれません |
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一乗谷朝倉氏遺跡から、白鬚神社まで 107q 2時間27分の道のりです |
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道の駅 河野に到着 小さな道の駅ですが、食事もできます ここで昼食を食べました |
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ここから眺める景色は綺麗ですね 波の音と風景で癒されます
美しい景色なので、レストラン・喫茶店は 儲かるのではないかと思いましたが 廃墟だらけでした |
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13時頃に白鬚神社に到着しました |
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白鬚神社は、国道161号線沿いにあります 赤色矢印は、湖中に建てられた鳥居です
駐車場は、黄色枠です スペースは、狭いですね・・・ 駐める事が出来たので良かったです |
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2000年の歴史を持つ 近江最古の神社です
延命長寿・縁結び・子宝・航海安全などの ご利益があります
本殿は、修復中でした |
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国道161号線の交通量が激しく 鳥居まで渡るのは禁止となっています
撮影台が設置されているので そこから景色を眺めることができます
インスタ映えスポットとしても有名らしく 海外の人も多くみられました |
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白鬚神社から賤ヶ岳リフト山麓駅まで 42q 1時間の道のりです
賤ヶ岳リフト山麓駅付近の道は狭くなります |
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寂れた観光名所だと思っていたのですが 車も多く、人気があるんだなと驚きました
トイレの快適度は4です |
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綺麗に整備されているリフトです |
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リフトで登りましたが、山道からも登れます
リフト降り場からの景色です 絶景です
リフト降り場には、トイレはありません |
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頂上まで登ります
意外に女性が多いです 若い女性グループもいて、休んでいました |
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頂上のパノラマ風景は絶景です |
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ここは、賤ヶ岳の戦いで有名な場所で 陣の配置が観れます なるほどなぁと考察して楽しみました
柴田勝家は戦では羽柴秀吉に負けました その後、自害しますが 武士としての生き方や信念は 秀吉に勝っていたと思います |
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賤ヶ岳リフト山麓駅から湖桑庵まで 1.3q 3分の道のりです |
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細い道を降りていくと湖桑庵が在ります |
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民家を改造したゲストハウスです | |
他のゲストハウスと違う所は 昭和40年の、国鉄の車掌車(しゃしょうしゃ)を 改造したホテルがあることです |
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車掌車は、4人泊まれます 一人一泊7000円です 車掌車の良さを保ちつつ DIYでホテルに改造した感じです
ベッドは手作りです 幅は狭く、長さも通常のベットより短いです 身長180pで、ギリギリですね
車両内は寒くなると冷えますね 車中泊に近い感じです
トイレとシャワールームがありますが 狭いです
バスタオル・タオルはありませんでした
これでお金を稼いでると考えると ただ物では、無いでしょう 勉強になります |
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電子レンジがあるのは良いですね 家庭用の冷蔵庫があります エアコンはありますが古いです
冷蔵庫・エアコン共に音が出ますね エアコンの音が大きく 夜は、騒音で寝れない人もいると思います
私が寝れないタイプです
たまたま、車に仮眠用の毛布・電気ひざ掛けを 持っていたので 車から出して、寝ることができました |
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色々と問題もありましたが、楽しい空間でした
夕食は、近くのラーメン屋で食べる予定でしたが コンビニで弁当を買って来て 窓から日が落ちるまでの時間を楽しみました |
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朝も同じで早く起きて 日が昇る時間を楽しみました
幻想的な雰囲気を味合う事ができます |
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湖桑庵から小谷城跡まで 14q 28分の道のりです |
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グーグルマップで道を確認すると 浅井三代の里から 中腹まで車でいけそうですが 11月は紅葉シーズンで 特別バス専用となっています 4月5月も特別バスが運航するので 車で行きたい方は事前に確認してください |
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私の場合は、朝早ければ行けるかと 7時に到着しましたがダメでした
仕方なく本丸まで歩きましたが、道幅は狭いです バイクなら良いけど 対向車用のミラーも無いので 軽自動車でもすれ違いはキツイ場所もあります
アウトランダーで行かなくて良かったです |
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徒歩でのルートは、赤色矢印 小谷城戦国歴史資料館がオススメと 看板に書いていました 体力のある方は、山道 無い人は車道を歩いた方が良いと思います |
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本丸は木で囲まれて 景色を楽しむことは出来ませんでした
当時の小谷城は、天空の要塞みたいな感じで 本丸から眺める景色は、素晴らしかったと思います |
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浅井氏は元々弱い立場の大名でした 生き残り戦略で朝倉を選びました 信長を討つ好機はありましたが 桶狭間の戦いから武田征伐までの信長は 強運過ぎましたね
金ヶ崎の戦いで信長を討つ事が出来ず 信玄は、上洛中に亡くなりました 運が無かったですね |
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小谷城跡から関ケ原古戦場歴史館まで 22q 40分の道のりです |
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駐車場は、黄色枠と赤色枠にあります |
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関ケ原の戦いで 家康が陣を張った最終場所に 関ケ原古戦場歴史館が建てられました |
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この記念館の売りは 関ケ原の戦いを映像化したシアターです 予約しないと観れないと思ってたのですが 当日券が、販売されていて 運よく見ることができました
8分ほどの映像ですが 迫力ある映像で、必ず観た方が良いです
桶狭間の戦い 長篠の戦い 大阪夏の陣を映像化してほしいけど 関ケ原がメインの記念館なので 無理かなと思いました |
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最上階からは、大名の陣の位置を説明しています 私は、実際の陣の配置を知りたかったので 楽しむことができました
この戦は、どちらが勝っても不思議ではないですね 史実は徳川が勝ち 毛利は、120万石から30万石に減俸され 悔しい思いをしましたが、268年後 毛利は、長州となり徳川を滅ぼしてしまうから 歴史は面白いと思います |
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関ケ原古戦場歴史館の隣に 関ケ原町歴史民族学習館があります
こちらの動画の方が 関ケ原の戦いを詳しく説明していますので 最初に、観てから 関ケ原古戦場歴史館の迫力ある映像を 楽しんでも良いと思います |
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イベントで、農具・民具が展示されていました その上に当時の写真がありました
満たされた現在でも 生きてくのが大変だと感じることがあります
生きることは苦行でもあり それを受け入れないと 幸せにならないと思っていますが
当時の人々は、どんなことを考えて生きてたのだろうと 深く考えさせられました
今回の旅で 生きるためのヒントを教えてもらった場所でした |
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関ケ原古戦場歴史館から我が家まで 171q 4時間30分の道のりです |
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今回の旅の総走行距離は、547.24qです 燃費は17.3qでした 何時もと同じで、パワーも不満なく アウトランダーと 快適なドライブを楽しむことができました |
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