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2014年5月16日 川中島の戦いを考える旅に出かけました |
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2012年 6月16日 八幡原史跡公園 出張の帰りに立ち寄ってみました 川中島古戦場の地である 戦国時代が、好きな私にとって一度は訪れたい場所でした
謙信は、戦術では天才で 無謀ともいえる、敵陣の近くの山で布陣 普通、兵法だとありえない行動なんですが 謙信は、信玄の動きを予測してたんですよね 少ない戦力で、信玄と互角に戦う
これが、きっかけとなり旅に |
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飛騨高山から松代まで 144.94km 安房トンネル
高速道路 松本→長野
平日に動くなら、軽はそこそこメリットあり
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道のり 新緑の山々が美しい |
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海津城跡 この地域は、戦乱で大名が入れ替わりしたので 名前がコロコロ変わる 海津城→待城→松城→松代城となる 関が原の戦い後 真田信之が入城し 幕末まで、真田氏の居城となる |
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収容人数=大きさで決まってるのだろうか 規模的には上田城と同じ 松代は、財政に余裕があるのだろう 綺麗に整備されている 場内は、桜の木が植えられている |
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昔は、こんな感じだった | |||||||||||||||||||||||||
真田宝物館 基本的に、地方の歴史資料館はショボイですが 松代は、頑張ってるかな |
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コスプレ系は数を増やして欲しい その方が、楽しめると思う
記念撮影になるような、バックも欲しいところ 人気になれば 低価格の予算で、利益がでます |
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真田邸 |
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美しい庭園でした 庭付き日本家屋は芸術性を感じる
徳川美術館のようなカフェにすると まったりできるのだが |
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妻女山は 海津城から車で15分 |
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妻女山への道幅は狭いです | |||||||||||||||||||||||||
5分ほどで到着 荒てるかと思ったら 綺麗に整備されてました |
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戦国では有名なスポットだけに 道幅の狭さは、ネックで残念です バスで通れれば、良い観光名所になると思う |
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嬉しいことに、展望台もあります 海津城が見えないのが残念
川中島の戦いを考える 謙信は、8千の軍を基本に 関東まで遠征する 超機動集団 足腰は強く 馬上で指揮を取る 機動力を活かして 敵を押し捲り、かく乱させた後 本陣に攻め込む |
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武田は、鉄壁の陣形を持つエリート集団 織田と勝頼の長篠の戦いでは 最新の鉄砲隊相手に、8時間戦い抜いた力を持ち 信玄が生きてる この時は、最強だろう まさに、龍と虎
地形的に、標高の低い妻女山 想像だと、頂上に陣を構えるイメージでしたが 実際は、麓に陣を構え頂上は物見だろうな ここで戦うと、囲まれれば終わり |
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謙信は、この地で戦うことは想定してなくて おびき寄せて 敵が、妻女山経由で千曲川を渡った後を叩くか 北国街道の周辺で戦い、離脱するか 信玄が野戦で戦う気がなければ、そのまま離脱だろうと 勝手に、妄想
実戦では、謙信の読みが当たり 怒涛の攻撃をしたが、想像以上に武田は強かった
川中島を考える旅は終わったのだった |
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